第一コンサルタンツは昭和38年11月29日に創業しました。今日、満56歳を迎えました。
このように56周年を迎えられるのは、何よりも社員とそのご家族のお陰です。皆さんに感謝の気持ちを表すと共に、これからも会社が年輪を刻むように着実に成長することを願ってクラブハリエのバームクーヘンをプレゼントさせていただきます。
クラブハリエは、国際コンクールで数々の賞を受賞している会社です。お家に持って帰って、ご家族と一緒に召し上がって下さい。
今日は創立記念日ですので、第一コンサルタンツの創業期のこと、社訓と社歌、そして今後の経営見通しについてお話しをさせていただきます。
昭和38年に矢野利男が、高知市中島町で「第一測量有限会社」を立ち上げました。社員は矢野を含めて5名でした。初代の社長は亀谷棟司郎、衆議院議員仮谷忠男の後援会長です。
昭和46年には、高知工業高校土木科の教諭を定年退職した石川貴泉を2代目社長に迎え、社名も株式会社第一測量設計コンサルタントに変えました。初代と2代目社長は名前だけで、実質的には矢野利男が経営していました。
昭和50年に矢野が3代目社長に就任しました。そして、昭和54年に初めて本社ビルを高須新町に新築しました。大きな借金をして建てたため、経営がだんだん厳しくなりました。
昭和61年、会社のイメージを測量会社からコンサルタント会社に変えるため、社名を株式会社第一コンサルタンツに変更しました。
しかし受注は増えず、経営は完全に行き詰まり、社長の座を新名義弘に譲りました。ところが、新名社長は平成4年に肺癌で他界しました。5代目社長には小田義人が就任しました。平成19年からは私が6代目社長に就任し、現在に至っています。
これまでを振り返りますと、平成27年に新社屋を建てたことで当社は大きく脱皮することができたように思います。
社屋ができるのを眺めながら、「会社も立派だが社員も立派だ」と言われる会社にしたいと思いました。会社を作っただけであれば、「仏作って魂入れず」になります。
そんなことを考えているとき、致知という雑誌で次のような記事を見つけました。
「何百年も続く老舗を観察すると、共通のものがあるように思える。一つは創業者の理念を大事にしていること。その時代のトップが常に創業の理念に命を吹き込み、その理念を核に時代の変化を先取りしている。二つは情熱がある。永続企業は社長から社員の末端までが目標に向け、情熱を共有している。三つは謙虚。慢心、傲慢こそ企業発展の防げになることを熟知し、きつく戒めている。四つは誠実。誠のない企業が発展した試はない。」
致知の記事を参考に、「情熱、謙虚、誠実」を当社の社訓と決め、社員の行動規範にしてもらうことにしました。
日本一のコンサルタントを目指すには、「何のために働くのか」社員の志を一つにし、同じベクトルで進んでいく必要があります。そのために考えたのが、経営理念を社歌にすることでした。知人であった河村泉兵衛氏に作詞、金子裕則氏に作曲をお願いし、できたのが「ガードレール」です。
私が尊敬する人物に吉田松陰がいます。平成27年に放映されたNHKの大河ドラマ「花燃ゆ」で、吉田松陰が高杉晋作に、「君の志は何ですか? 僕の志はこの国をよくする事です」と話す場面がありました。歌詞にはこのフレーズを取り入れ、当社の経営理念を表現しています。
これまでの経営を踏まえ、将来の見通しについてお話しをします。
私が社長に就任したときの売上高は7億円でした。12年が経って売上高は3倍を超えました。社員の皆さんの協力があったからこそ実現できたのですが、たくさんの仕事に恵まれなければ売上をこんなには伸ばすことはできませんでした。
平成23年3月の東日本大震災を教訓とした「南海トラフ巨大地震」対策、平成24年12月の笹子トンネル天井板崩落事故を契機とした道路施設総点検、平成26年8月の広島土砂災害を教訓とした砂防基礎調査、そして平成30年の7月豪雨、台風21号、北海道胆振東部地震など頻発する自然災害を教訓とした「防災減災国土強靱化のための3カ年緊急対策」と次々に調査・設計委託業務が潤沢に発注されました。これらのお陰で多くの仕事に恵まれました。非常に幸運でした。
地球温暖化の影響で豪雨災害は今後とも激甚化することが予想されます。また、南海トラフ巨大地震の発生リスクが年々高まっています。加えて、橋梁やトンネルなど社会インフラの老朽化が急速に進んでいます。これらのことを考えると、当社の仕事はこれまで以上に増えると予想されます。
そうした中で、IoT、AI、ロボットなどICTを活用した生産性革命、長時間労働の是正などの働き方改革が急速に進んでいます。時代の波に乗り遅れることなく60周年、そして100周年に向かって進んで参りましょう。
社員の皆様の今後の活躍と幸せを念じて56周年の挨拶とします。